フィールドにて 10

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■ 06年の釣り納め (06年12月24日)

 子供たちを連れて、「うらたん」管理釣り場へ行ってきた。
 ここは、自然な流れと人工的な流れの双方があって、魚はうようよいるし、初心者でもニンフで結構釣りになるので、気に入っている。ただ、子供料金がないのが痛い。
 早速人工的な流れで試すが、魚の反応が悪いので、ちょっと上流のフライ専用区間へ入る。

 水底にお魚が群れをなしている。ニンフの流し方を子供達に教えて、しばし様子を見る。

 早速次男が「とーちゃん、きたっ」と竿を曲げている。これはランディング直前にバレてしまったが、次もすぐ来た。長男も右の写真のようにイワナを掛けている。

 結局、この区間で昼までやって、子供たちも一人当たり数匹上げることができた。だいぶ慣れてきたのか、ドライよりも難しいキャスティングも、この程度の川幅ならライントラブルをさほど起こすことなく無難にこなしている。

 ちなみに、結構本気を出した私がわずか2匹しか上げられなかったことは、国家機密である(汗)。

 このクリスマスイブの釣りで、ちびどものゲーム熱が多少釣りへ向かったことは、サンタにとってもありがたかったのではなかろうか?(笑)

 

■ サンタ困った(06年12月20日)

 今年のクリスマス、サンタが何者か知っている長男は、先般自転車を買ってもらったことで遠慮して、「今年はサンタに手紙書かない」と大人っぽいことを言っているが、次男は小学生男子らしく何とかというTVゲーム、下の女の子も最近はやりのウィーとかいうゲームを要求している。

 子供の付き合いというものがあるのは知っているが、あいにく私はTVゲームが嫌いである。かといって、普通のおもちゃを買って、数日〜数週間で飽きられるのも、もったいない。相当思案していたら、「なーんだ、フライのグッズがあるじゃないか!?」と思い当たった。

 彼らは当然自分のタックルは持っていないので、この機会に、安いロッドを買ってやることにした。そういえば、ティムコが「インファンテ」というモデル作ってたな。。。
 次男は、翌日の12月26日が誕生日なので、そこで安いリールを買ってやれば、管釣にも連れて行ける。長男のリールは自分で調達させよう。
 

■ クリスマスの記事 (06年12月16日)

 ここのところ、新聞記事を題材にした話を書いてきたが、クリスマスの頃は、季節柄、紙面に温かい話とそうでない話のどちらも目立つ気がする。

 1年ほど前だったろうか、読者の投稿欄に孫娘を育てているおばあさんから送られてきた、こんな投書が載っていた。

 このおばあさんの娘さんは、子供(おばあさんの孫娘)がまだ小さい時分に病気で亡くなっている。おばあさんが孫娘を育てているのは、このためである。
 当然苦労も多いが、毎年クリスマスになると、見知らぬ誰かが名前を名乗らずに孫娘にプレゼントを送ってくる。毎年欠かさずに、である。
 孫娘が大きくなって、物事がだいぶわかるようになった頃、そのプレゼントの送り主がわかった。亡くなった娘の親友たちだったのだ。

 僕にとっては、忘れられない、人間の温かい心がいかに様々なことをなし得るかを物語る話であった。
 

■ 電飾の思い出 (06年12月8日)
 今年は例年にも増して慌ただしい日々が続いたため、せっかくこのHPを訪れていただいても、釣りの話が乏しく、恐縮しています。
 さて、今年も20日余りとなった。今年の釣りを自己満足的に総括すると、フライを始めて何年にもなるのに、まだ初めて経験することがたくさんあった。
@まず、本栖湖で初めての陸釣りを経験。ただし、マルボーズ(涙)。
A群馬県で初めて釣りをした(神流川)。
B岩手の八幡平で初めて東北での本格的な釣りを体験。その際は尺イワナを二本ゲット。 
C実は、岩手県に足跡を印したのも、夜行バスに乗ったのも初めて。(今年はその後、和歌山県にも行って、ついに全都道府県を踏破した。)
D夏には南アルプスで本格的なヤマトイワナを初めて釣り上げた。

 反面、9月以降、管釣まで含めても結局一匹も釣り上げることができず、ボーズ期間の新記録を達成してしまった(涙)。釣りはホントに奥が深い。それから、毎年の課題だと思ってきたマッチ・ザ・ハッチのデリケートな釣りも、結局今年ほとんどやらなかったので、またしても来年に持ち越しである。得意技のニンフは、奥義の域に達してきたのだが・・・。

 さて、師走になって釣りも忘れ、家にいることが多くなって、クリスマスのイルミネーションをどうしようかと思案している。実は子供の頃、実家の庭にちょうど手頃なモミの木が植わっていて、当時では珍しく、野外の生木を使ったイルミネーションをやっていた。色がついてない豆電球を使って、品のいい感じにしたのだが、これの評判がよくて、近所の電飾ブームの先駆けになった。実はひそかな自慢である(笑)。自分の部屋にいると、外を通る人たちが「きれいねー」と話しているのが聞こえてきて、何とも嬉しかったものだ。

 イルミネーションと言えば、鹿児島県のある街に住む方が、毎年、自宅にとびきり豪華な電飾を施し、遠方からも見に来る人が絶えないという話を聞いた。全国にイルミネーションで有名なスポットは数多くあるが、ここは少し事情が異なる。ある新聞記事を紹介する(2005年12月15日付け朝日新聞)。
「息子・裕道よ・・・ 天国から見えるかい 骨肉腫治療中完成の家、「道しるべ」の電球 毎年増え10万個超」
 長男(23)が骨肉腫で亡くなったのは8年前。家族4人で住もうと、当時新築したばかりの木造2階建ての我が家には、ほとんどいられなかった。日置市伊集院町郡、建築会社を経営する高野研二さん(49)は、最後まであきらめずに病魔と闘った息子の姿が忘れられない。「天国からでも自分の家がよく見えるように」と翌年の冬から家の外に2万個の電球を飾った。今年もまた冬が来た。夜空に明々と光を放つ光線=写真(引用者注:写真は略)。息子が今にも帰ってきそうな気がしてならない。(略)
 自宅を彩ったイルミネーションはいつしか評判を呼び、冬が近づくと「今年はいつから始めるんですか?」という問い合わせが後を絶たない。家の前には毎晩のように人垣ができるようになった。(略)
 光線を目の当たりにすると、初めてクリスマスイルミネーションを点灯した夜、思わず空を見上げたことを思い出す。「ひろ、そこからこの光が見えますか?」何度も何度も自分に言い聞かせるようにつぶやいた。(下略)
 
 TVで紹介されたこともあるそうなので、ご存じの方もいるかと思う。きっと本当に天国から見ているよ、と思ったのは僕だけだろうか。