フィールドにて 6

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■木村庄之助さん、お疲れさまでした(05年11月27日)。
 11月の九州場所で、大相撲の立行司、木村庄之助さんが50年以上の行司人生から引退された。千秋楽では、琴欧州の大関昇進なるか?!と注目されていて、相撲自体はもちろん面白かったが、行司さんという、相撲を支える人の50年以上もの歴史の最後に立ち会うというのは、また大きな感慨だった。

 事後の記者会見で木村さん、土俵では勝ち負けだけを見てきたが、これからはファンと同様に、相撲を楽しんで見られるのでは?と話していたそうだ。とても推し量ることのできない心境ではないかと思った。



 それにしても、琴欧州は大変な人気だった。次々と登場する上位力士は、グルジアだったりモンゴルだったり、国際色豊か。

 僕は野球もサッカーも、普段は相撲も全然観ないのだが、こうやって会場に来ると実に楽しめる。子供の頃、初めて西武球場へ行った時の感動を思い出した。

木村さん、最後の一番
 ところで、左の写真の中央にいるのは誰でしょう??

■ 四日間の奇跡×10(05年9月26日)
 先日、ニューヨーク帰りの機内で席に着き、一仕事終わった安堵感で珍しくワインなど頼み(機内だと酔い過ぎるので、普段は敬遠しているのである)、リラックスして映画上映の予定などを機内誌でチェックしてみた。「四日間の奇跡」が大きく紹介されていて、そういえばどこかで感涙云々と絶賛されていたのを思い出し、観てみることにした。

 ところがテレビスクリーンの調子が機内中悪いらしく、何も映らない。隣のアメリカ人は、「これから13時間もあるのに映画なしでどうしろっていうんだ〜。呑みすぎで体壊したら賠償してくれるのかあ!」と大騒ぎである。よせばいいのにリモコンや画面をばしばし叩いていると、なんと本当に映画が映り出し、「いえ〜い」と喜んでいたが、ものの5分で切れてしまい、前よりも発狂していた(笑)。僕がスチュワーデスさんに「これってやっぱ期待薄なんでしょうか?」と直撃すると、彼女「東京の事務所に電話して直し方教えてもらってるんです〜。すみませ〜ん。」とのこと。ちなみに東京時間は3連休中の夜中の3時。うーん、いかにもだめそう。

 ところが、なんと離陸後3時間ほどで本当に直ったのだ。あちこちで歓声が上がっている。僕もすかさずお目当ての映画を。

 もともと僕は、玄人好みのフランス映画やスペイン映画の良さがわからない単細胞であり、弱いのは、たとえ亡くなっても愛する人を守る、というタイプ。アメリカ映画では「ゴースト」とかスピルバーグ(だったと思う)の「オルウェイズ」といったやつがそれである。あとはとにかくわかりやすいやつ。俳優の顔と名前も一致しない映画オンチである。

 今回の映画は、ネタバレになるのでストーリーは書かないが、なかなかよかった。特に石田ゆり子はいい感じ。同い年だし。ただ、観ながら、小説はおそらくもう少し複雑なストーリーなんじゃないか?と思った。

 東京に戻ってから、小説を読んでみようと本屋へ行った。この本屋がクセモノである。もともと、探している本を知られるのって恥ずかしいものじゃなかろうか。一人静かに文庫と新書のタナを探したが見つからない。しかたがないので、店のお姉さんに聞くと、彼女、「
四日間の奇跡ですね」と言ってインターホンで誰かに「四日間の奇跡ってどこにあるんでしょうか?、ええ、四日間の奇跡です。」と話している。静かな本屋中にマル聞こえである。一緒にいた長男は、「とーちゃーん、四日間の奇跡ってなあに?」と訊いてくるので、「何かの本じゃない?」とわけのわからない応答をしてしまった。

 しかも呼ばれて出てきたおっさん、デリカシーのないことこの上ない。「あ、お客様、
四日間の奇跡ですよね」、(携帯電話で誰かに)「あのさあ、四日間の奇跡ってどこの出版社だったっけ?」、更に駆けつけた第3の店員と「四日間の奇跡どこだっけ」。

 それを聴いた二人連れの客が「
四日間の奇跡ってさあ、テレビでやってたやつだよね」とか話題にしている。もうこっちは冷や汗が出るほど恥ずかしかった。なんでこいつら客の気持ちがわからんのだろうか。まるで、「あたしだけは韓流にはハマらない」と豪語していた人が密かにハマり、「ペ・ヨンジュンの素顔」とか何とかを探していることが本屋中に公表されてしまうようなものだ。

 結局、「いやあすみませんねえ、
四日間の奇跡、何冊か置いてあったんですけど、売り切れちゃったみたいですう」とのこと。浮き足立った僕は、逃げるように店を出たのである。
 
 さらに、2軒目の本屋へ入るなり、長男は、「とーちゃん、
四日間の奇跡探すの?」とでかい声で追い討ち。探すのもそこそこに、断念して店を出た。

 3軒目の本屋で見つけた。4時間で読めるものだった。映画と原作小説のどちらを好むかはよく議論になるが、少なくとも今回は、私は構成のしっかりした原作小説が好きである。

 しかしそれよりも、自分が本屋を開くなら、客のプライバシーは大事にしないと、と堅く心を決めたのであった(笑)。
 

■ 川上村にて(05年8月13日)

 千曲川の川上地区へ行かれる方は、佐久方面・清里方面のどちらから行っても、国道141号線で南牧村へ達し、それから千曲川に沿って東進することになる。

 早朝、まだ暗い時間に通ると、レタスなどの畑にこのようにサーチライトが煌々と点り、農家の人たちが収穫作業をしているのが見える。

 
 昭和の初めまでは、この地は寒冷の地ということで、特に目立った産業もない、文字どおりの寒村であったそうだ。それからの住民や開拓団の血のにじむような努力によって、川上村は今や、高原野菜では最も有名な自治体に成長した。レタス御殿と呼ばれる豪邸が建ち並ぶようになった背景には、命を張った頑張りと創意工夫があったのだそうだ。

 川上村の標高は1300mほどもあり、日本で一番高所にある自治体と聞く。野菜が収穫できるのは6月から10月初めまでの期間で、その間に年間の収入を得ておかなければならない。レタスの類は、鮮度を確保するよう、朝1時から6時くらいまでの間に収穫し、真空予冷といって特別な機械で摂氏4度くらいに冷やしてから出荷するのだそう。収穫の夏季は、他所から数千人のアルバイトが集まるそうだ。


 昨日で日航機墜落事故からちょうど20年が経った。事故現場の群馬県上野村は、川上村と隣接している。川上村で千曲川に沿った道を東に向かうと、埼玉県の秩父地方に入るのだが、そのすぐ北に群馬県との境があり、県境のすぐ北にあの御巣鷹山はある。南相木村は更に近い。南相木川の谷から上流に目をやり、見える山並みのすぐ向こうはあの尾根である。

 あの夏の夜、私は高校の部活の合宿から東京に戻るべく、同級生たちと信越本線の特急上り線に乗っていた。電車の中で既に事故発生を知っていたように記憶しているが、たぶんそんなことはないだろう。おそらく、事故後、その瞬間のことに思いをいたしたあまり、事実と想像とが混同しているのではないか。

 当時、そして今も、関係者の方々がどんな気持ちでいたのか、いるのか。何度となく想像し、そのたびに自分自身の悲しみになって跳ね返ってくるような気がする。

 

■ 動物との付き合い(05年7月26日)

 八ヶ岳の山小屋の屋根裏にテンが住み着き、子供も産まれたようで、毎晩、赤ちゃんテンの「みゃーみゃー」という声やら、何匹かでドタバタ走り回る音やら、「んぎゃごご、ふぎゃ〜」という叫び声やらで、大変な騒ぎである。

 最初は、かわいいし、飼っているとでも思えばいいかと思ったが、誠に甘かった。ネコとは違って綺麗好きではないようで、天井の隙間から「落し物」が降ってくるのだ! 相当の匂いで、さすがにこれでは共存困難である。

 関係先に相談したところ、ワナにかけて捕獲するしかないとのことで、業者さんに来ていただいて、屋根裏に設置した。外部からの侵入口も特定できたが、そこをふさいでしまうと、生き延びるために家の構造物をかじって、たとえば居室に入り込んできたりするらしく、また、煙等で燻り出すのも、屋根裏がかなり通気性よくできているために困難とのこと。やはりワナ方式しかないんだそうだ。

 放置すれば大変な被害になること必至なので仕方がないのだが、捕獲後はどうなってしまうのかなど、少々気になる。 ここは山中で、真冬は零下15度まで軽く下がる。さぞかし居心地のよい巣なんだろうとは思うが・・・。

 ところで、ある川へ行った時のこと。明け方、川の上流部へ行こうと砂利道を車でガリガリ登っていくと、相当奥に行った所に畑があった。インゲン豆などを栽培している。

 見ると、犬が番をしている。白毛の雑種犬。ありきたりの犬小屋に、これまたよく見るタイプのエサ用金だらいが置かれ、鎖でつながれている。

 車でノロノロとやってきて、入渓点はないかとキョロキョロしている私は、明らかに不審人物。番犬ならば、当然吠えまくって然るべしであるが、このわんちゃん、尻尾を振って飛んだり跳ねたり、足踏みをしたりと、もう嬉しくて仕方がない、という仕草である。

 結局、先へは登れそうもなかったため、正に犬小屋の目の前でUターンしたのだが、その間、彼は一度も吠えず、ただただ、居ても立ってもいられない様子であった。砂利道を下っていきながらバックミラーで見ると、こちらに向かって鎖一杯に身を乗り出している。

 実は迷ったのだが、やはり降りて短時間なりとも相手にしてやればよかった。犬は昔から人間の側にいた動物である。ああやって来る日も来る日も、畑の持ち主以外ほとんど誰も来ない山奥で、ひとり繋がれて番をする、さびしくて耐えられないのだろうか。畑の番は必要なので、無責任な私がその方法を云々することはできないが、せめてあの犬の相手くらいしてやればよかった、と後悔した。未だに、犬が感極まったとき特有の、「ひゅーん」とか「ひーん」といった音が耳に残っている。今日は台風が来た。先日は地震も来た。彼はどうしているだろうか。