管理人について <釣り史をアップ>
名前    きみ
出身・居住地  東京都 世田谷区
フライ暦 2012年で10シーズン目<下に釣り史を掲載>
フライ以外の趣味 オーディオドラマ、山歩き
主に行くフィールド 南アルプス、北信、八ヶ岳、奥日光湯川
あまり行けていないフィールド 関越道方面
好きなタイプの川 岩が白っぽくて、水がエメラルドグリーンに映えて見える川
イワナとヤマメどっちが好きか イワナ
ロッド カスタムロッド 7.3ft #4
カスタムロッド 6.6ft #4
Sage XLT 00710-3(7.10ft #00) 
愛用品コーナー Fenwich FF663-3J (6'6ft #3)
Euflex EXV804-3 (8.0ft #4)
Tenryu Fates Basic Master 8 #4 (8.0ft #4)
Sage FLi 690 (9.0ft #6)
G Loomis Crosscurrent 9ft #9
リール Hardy Featherweight(#4)
Hardy Flyweight
Sage J-3100(#00)
Sage J-3200(#3)
Redington RS2 3/4(#3)
Cascade No.11R VH 3/4(#3)
Redington GD5/6
Orvis Battenkill Mid Arbor(#9)
多用するフライ パラシュート(アダムス、アント等)
ニンフ

<釣り史>

 私が初めて釣りをしたのは、小学校1年生の春、当時住んでいた小田急線参宮橋から祖母と母に連れられていった和泉多摩川であった。もう37年も前になると思うと驚く。駅前の雑貨屋さんで竹ざお(文字どおり、継ぎ目も何もない竹を切っただけのもの)と玉ウキのセットを買ってもらった。

 春の陽気の中、河川敷で思い思いに楽しむ人たちがいて、岸際ではリール付きの立派な竿で遠くへ仕掛けを投げて、大きな鯉を釣っている人がいた。僕らは岸際で練りエサを付けてやってみたが、10cmほどのフナが何匹も釣れた。本当に楽しかった。フナは家に持ち帰り、それぞれ名前を付けて、水槽でしばらく飼っていた。

 2年生になると、両親が千葉の鋸南町にある会社の保養所へ時々連れていってくれて、そこで磯釣りを楽しんだ。3.6mほどの延べ竿に棒ウキ、青イソメの仕掛けで、小物がたくさん釣れた。ニジベラがきれいだった。しかし、釣れたニジベラが顔にペタリと付いてしまった妹は、ギャーと叫んだ後、しばらくトラウマになっていた。


 最初の大物は、同じ鋸南町の磯で、大風で荒れ模様の日に釣ったボラである。周囲の大人はリール竿で釣っていたが、私は相変わらず短い延べ竿だった。それでもアタリが来て、ものすごい引きに竿を持っていかれそうになった。強く引っぱった瞬間、軽くなった。竿先の結びが固結びで2度やっただけだったことに気づいた。いまフライをやっていて、どんなに焦るときでも仕掛けだけは丁寧に作るようにしているが、時々この時のシーンを思い出すからである。

 幸い、新しい仕掛けにもう一度来た。ゴボウ抜いて釣れたのは、30cmを優に越える大物だった。釣りってこんなに楽しいものかと思った。その後は、お小遣いをもらうたびに、釣りキチ三平が本棚に増えていく。

 ちなみに先般、子供達を連れて同じ磯へ行こうと思い、途中の釣具屋で聞いたら、今では黒鯛の有名ポイントとして、盛期の休日は朝4時頃行かないと場所がないそうだ。しかも、「あそこは荒磯だからねえ、子供づれじゃ危ないよ」ということだ。当時は、かなりの荒れ模様であっても、両親は2〜3年生の自分を一人で行かせていた。学校で子供同士もめただけで直ちに親が登場して校長室沙汰になる最近の親なら絶対しなかっただろう。

 小学校6年生になるまで、鋸南町には休みごとに行っていた。色んな種類の魚を釣ったが、キスの投げ釣りとか、黒鯛のフカセ釣りといったものは、トライはしたがうまくいかなかった。また、通っていた小学校では、マセた連中がルアーのバス釣りを始めていて、赤坂見附の弁慶橋でボートを出して釣っていたようだが、参加の機会はなかった。その代わり、釣りキチ三平に夢中で、テストで時間が余ると、裏にブルーマーリン(クロカワカジキ)の絵を書いていた。

 ところで37年前と言っても、私自身が過ごしてきた時間であるため、すべて今の時代の話だと思っている。しかし、6年生だった1981年の36年前は終戦の年である。あの頃考える1945年は、歴史の世界、遠い昔だった。そう考えると、多摩川の河川敷でのあののどかな日は、どうしようもなく遠ざかってしまったということを、改めて思うのだ。
 
 さて、小学校を卒業すると釣りからしばらく離れるが、一度だけ、中学校一年生の時に多摩川の支流である平溝川へ行ったことがある。5万分の一の地図を買い、エサ釣りの道具を買い揃え、友達と3人で出かけた。無論ボーズであったが、走る魚影を見たのはよく覚えている。

 釣りに戻ったのは、12年程前に、職場の先輩に真鶴の磯へ連れて行ってもらった時からである。

 確か、お互いに男の子がいるということで、今後のこともあるので久しぶりに行って見ようということになって、彼が場所を探してくれたのだと記憶している。磯小物の仕掛けと、カサゴ用にブッコミ仕掛けを用意して一日磯にいた。

 サイズは上がらなかったが、バラエティに富む小魚がたくさん釣れた。しかし、それ以上に楽しかったのは、小春日和の中、波の音だけを聞いて、大海原を日なが見つめていることだった。辛い仕事のことも何もかも忘れる時間がこんな形で得られるなんて、想像してもみなかった。「リフレッシュ」という言葉は、それまで男にとっての「美白効果」という言葉くらいに無縁で実感のないものに思えていたが(女の人、すみません(笑))、そういうものが確かに存在することを知った。

 その後、その先輩と一緒に船釣りを何度か楽しんだ。水深100mの釣りは電動リールなしではきついことを身をもって味わい、4万円出してリールも買った。(100mから80号のオモリを手巻きで上げると、辛すぎて身をくねらせる結果となる。ほとんど拷問・・・(笑)。)

 船釣りは、マダイやらヒラメを狙わない限りボーズは少なく、家族へのお土産があるので、それなりに楽しかった。今でも時々行くので好きなものではある。しかし、一日狭いスペースに閉じ込められて、船長の「はいどーぞ」、「上げてください」の声に従ってみなが一斉に仕掛けの投入・巻上げをやるというのは、ちょっと窮屈だった。

 渓流釣りの道具を買ったのは、文字どおりの衝動買いだった。2002年の早春だったか、珍しく早く仕事が終わってヒマを持て余し、上州屋の渓流コーナーを見ていたが、気づいたら全部そろえていた。初めて間もない頃、職場の別の先輩が一緒に渓流へ行こうと誘ってくれ、道志川C&R区間へ行った。エサ釣りは禁じられていないが、やる人は誰もおらず、面白いように釣れた。その日の午後は、忍野へ行った。金田一橋のすぐ上流で先輩がフライを教えてくれる。オレンジの糸の先がテーパーになっていることは、ちょっと考えればわかることだが、その時初めて知って新鮮だった。エルクヘアカディスを使い、フロータントなどの小物に驚きながら、15cmほどのニジマスをかけた。

 釣りキチ三平では、渓流釣りはハイレベルなものとして描かれており、子供のやるものではない感じがしていた。また、三平にフライが登場していたかどうかは覚えていないが、子供心に、穴ぼこだらけのリールに象徴される外国の雰囲気に惹かれていた。5〜6年生の時に奥日光戦場ヶ原を歩いて、フライをやってみたいと思ったこともあった。しかし、忍野へ行った日は、エサを始めたばかりだったので、正直いって気もそぞろで、その日はフライと「接触」しただけだった。

 02年はエサで通す。八ヶ岳や南アルプスなどの川を歩き回った。03年の解禁は前日から泊りがけで長野へ行った。GWにはハードな山岳渓流にも行った。しかし、先行バトルは性に合わないし、釣れた魚を持って帰るのも、反対にリリースするのも、どちらも今ひとつの気分だった。ハリが飲み込まれて無意味に死なせてしまうこともあった。それで、03年の春、中古屋さんでフライの道具を買いそろえたのである。
 03年の春、会社の釣り仲間と一緒に忍野に行った。金田一橋のたもとで3人分かれて入り、フライは出来合いのものを買ってあったのでそれを使い、ティペットは仲間からもらった10xを使った。フライが流れるところに突然波紋が広がった。反射的に合わせたら、激しい引きに驚いた。ラインをどうやって手繰り寄せるのかわからず、夢中で竿を高く掲げ、パニックしながらラインを引っ張った。仲間がネットを差し出してくれ、魚が収まった。30cmを越えるブラウンだった。これで遂にフライにはまることになる。

 その夏からは、八ヶ岳などでフライを試すが、なかなか釣れない。4〜5本の川をチャレンジしたと思う。そして7月に千曲川支流の本間川で初めてドライにイワナが反応した。ドラッグがかかってフッキングはしなかったが、渓谷をひとり遡行する緊張感にフライへの反応という興奮が加わって、アドレナリンが出まくった。そして、瀬を流していて、山岳渓流初のイワナを釣り上げた。その後は、大門川などで徐々に慣れてゆく。04年は約35河川、05年は約50河川、初の奥日光湯川釣行と楽しみが増えた。そしてなんと言ってもこのHP開設で、釣り仲間が増え、釣りをめぐる大きな楽しみが一つ増えた。

 09年3月から12年1月まで、家族とともにアメリカのワシントンDCへ赴任になり、アメリカ東海岸やモンタナでの釣りを楽しむ機会を得た。これはこれですばらしかったが、日本の手軽な渓流での釣りも、気軽ですばらしいものだと再認識した。


フライにはまるきっかけとなった忍野の金田一橋そして、最初にかけた時の図



冒頭の写真は、よっしーさんとデコさんに撮っていただきました。