第1章 北海道



7月25日、第1日目 曇りのち雨 東京→稚内

 かねてから計画していた日本縦断の旅への出発の日だ。思い立ってから約1週間(え? 1週間ぽっち? 学生って無鉄砲過ぎ・・・)、全国道路地図を買って計画を立てようとしたが、一日にどれ位走れるかもわからないのに計画を立てようもないことに気づき、自転車を電車や飛行機に載せる「輪行バック」やデイパックに詰める最低限のものだけ用意して、出発当日を迎えた。

 最寄の三鷹駅まで自転車で向かい、駅前で自転車をバラして輪行バックへ詰め込む。実はその時初めてだったので勝手がわからず、かなり苦労した。自転車を抱えてようやく中央線に乗り込んだ時には、汗だくだった。

 実は、飛行機は予約していない。「スカイメイト」という若者向けの割引サービスを使って安くいくつもりなのだが、この制度では予約ができないのだ。しかし、「何とかなるさ」と気楽なものだった。

 羽田空港で全日空の稚内行きに乗ろうとしたが、満席である。10:50発の札幌千歳行きに乗ることにした。札幌で一泊して、知り合いに会って、味噌ラーメンでも食べてから翌日稚内へ向かうことにしたのだ。ところが札幌の天気は悪く、千歳からかなり距離があるようだ。機内で飛行機の時刻表を見ると、札幌から稚内へ一日に何本か出ている。千歳に定刻どおり着いたら次の稚内便にギリギリ間に合うかもしれない。そこで、千歳に着いた途端に全力ダッシュで乗り換えカウンターまで行き、次の稚内行きが空いているか聞いてみたら、運良くOKである。カウンターのお姉さんが親切で、東京からの飛行機に積んだ自転車をすぐ出してくれる手配をしてくれ、あっと言う間に稚内行きの機上の人となった。


 飛行機が北上するにつれて厚い雲が眼下を覆う。長い時間かけて降下すると、低く垂れ込めた雲と鉛色の海の間を飛行する。ほどなく、樹木のほとんどみられない寒々とした草原地帯の海岸近くに稚内空港が見えてきた。飛行機は大きく旋回し、着陸した。

 飛行機から出たら、小雨がぱらつき、風が吹きすさんでいる。30度以上の東京からTシャツ短パン姿で降り立った私には寒すぎた。すぐにトレーナーや雨合羽を着込み、自転車を組み立てて出発した。当初は最北の宗谷岬へ行こうと思ったが、寒すぎるし雨も降っているので、国道238号を西に向かって、稚内市内へ直行することにした。最初の宿には、ユースホステル(モシリパYH)を選んだ。1泊3,450円。とても感じのよいYHだった。入り口には、「必ず予約してから来てください。」と言って、最寄の公衆電話の場所が書いてある。けじめを大切にしているのだろう。

 同宿の人たちは、私がこの地から日本縦断に出発すると聞いて、応援してくれた。今日一日の走行距離は、13.2km。

7月26日 2日目 曇りのち晴れ 稚内→羽幌

 朝食はYHらしく7:15と早い。8:25に出発した。一旦稚内空港に戻るように国道を東へ向かい、南稚内駅の近くで半島を横切る道路に入り、日本海側へ向かう。高い樹木は見られず、緑の色が薄い。そしてどんよりと曇っている。風が冷たい。

 えっちらおっちらと坂を登ると、まもなく日本海側へ出た。坂の上から海を眺めると、いかにも北の海らしい光景が広がっている。沖に浮かぶのは、利尻富士や昆布で有名な利尻島である。海岸に向かって急な下り坂がある。時速
60km以上出て、ちょっと怖かったが、広々とした風景の中、ブレーキもかけずに駆け下った。

 海沿いに走る道路(稚内―手塩線)では、追い風に恵まれ、平原の中かなりの速度でひた走った。しかも、南下するにつれて、次第に晴れてきて、気分も上々である。手塩川の河口近くの橋を渡ると手塩町に入る。いま、FFの雑誌ではサクラマス狙いなどで手塩川が紹介されたりしているが、この時期はそこまで想像が及ばなかった。。。でも、もしFFをやっていたら、九州まで半年かかっても着かなかったかもしれない。

 この町で缶ジュースを買って飲んでいたら、同じような年恰好の男が自転車に乗って近づいてきた。話すと、私と同じく九州まで行くと言う。ちょっとライバル心をくすぐられた。

 手塩を過ぎてから、坂道が増える。また、どこかで大きな工事をやっているのか、ひっきりなしに大型ダンプが追い抜かすので怖い。風も逆風に変わった。

 バイクのツーリング集団をよく見かける。彼らはすれ違うと、手で挨拶を交わす。私を追い抜いたり、反対車線ですれ違った多くのライダー達も、同じようにしてくれた。こちらも元気よく合図を返す。何とも明るい気分になる。嬉しくて、向こうから来たバイクに合図を出すと、無視された。一瞬の後に気づいた。地元のおじさんであった。合図の手の行き場所に困った。

 今日の宿は、羽幌町立YHにした。高台の廃校を使ったもののようで、教室で寝ることになる。洗面台が蛇口が並んだ学校のそれであり、何とも懐かしい。夕刻、同宿の人たちと一緒に海岸へ行き、夕陽に映える天売島・焼尻島を遠望する。

 ネットで調べてみたら、
963月に建物の老朽化のため一旦閉鎖され、その後、ペアレントの個人経営という形で羽幌遊歩YHとして生まれ変わったようだ。 

 本格的な走行の初日であり、心地よく眠れた。今日の走行距離は、134.6km。

もうすぐ日本海が見えてくる



日本海



果てしなく続く道

天売島・焼尻島遠景と夕陽



7月27日 3日目 晴れ 羽幌→厚田
 YHには、私と同様自転車旅行をしている人がいた。札幌在住の会社員の人で、北海道を一周するという。YHの前で記念撮影。とても体の大きな人で印象に残った。

 朝8:25に出発。右手に日本海を見ながら南下する。

 函館に向かうルートとしては、海沿いに走って余市からニセコへ抜けるのが短いが、せっかくだから札幌に寄り道する手もある。決めきれないまま、今日は行ける所まで行ってみようと思う。

YHの前で記念撮影

 3日目ということで、体中が筋肉痛で痛い。困ったのが、変な話だがパンツの縁がサドルで擦れてお尻が擦りむけて事の他痛い。仕方がないのでタオルを敷いて走る。
 
 留萌(るもい)からは急に山越えとなる。なかなか厳しい道で、フラフラしながら登っていたら、大きな側溝に危うく落ちそうになった。体がすっぽり入るほどの大きさだったので、落ちたら体も自転車もただではすまなかっただろう。
留萌からの山越え
 辛い上り坂の後は、気持ちのよい下り坂。この峠越えが好きで自転車をやっている人は多いと聞く。下り終えると、増毛町。この辺りは昔、ニシン漁で栄えた所だそうだ。

 昼食は、道すがらラーメン屋に入ったのだが、一杯330円とあまりに安いので驚いた。味はなかなか。

 走る私のTシャツに、クワガタのメスがくっついた。そういえば、樹木がほとんど見られなかった稚内周辺とは異なり、普通の森林が見られるようになっていた。
 この日は気温が高く、疲れが早かった。道は、集落も何もない海岸線がかなり長く続くので、17時半頃になって、厚田の集落に入ったところで、大事をとって今夜の宿を得ることにした。民宿が見つかって、すぐそこに決める。食堂を兼ねたところで、一泊5,000円である。畳の部屋に案内されると、たちまち寝入りそうになる。階下から呼ばれて夕食に降りていくと、ツブ貝などの北海道の海の幸が楽しいご飯であった。
この辺りの風景
 この日の走行距離は、146.8km。
7月28日 4日目 快晴 厚田→倶知安
 民宿のおばちゃんもお姉さんもとても親切な人で、おしゃべりが楽しかった。明るい挨拶をして出発。

 この日は、日差しが刺すような快晴で、どんどん日焼けするのがわかる。北海道だというのにこの暑さには驚いた。峠越えをして石狩平野へ。とたんに開けた風景が広がる。 
 この時点でルートは最短コースの余市→倶知安(くっちゃん)→長万部(おしゃまんべ)をとることを決めていた。暑い中、大都会は辛い。
 小樽は、稚内を出てから一番大きな町だった。追い風に恵まれ、峠もなんのその、どんどん進む。途中で見つけた自転車屋さんでスペアタイヤを購入。余市市内で海岸に沿った道から山沿いの道へと入る。とにかく暑い。
 何度も峠越えをする。へたばってふらふらしながら走っていると、大型トラックの運転手さんが向こう側の車線から「ほら! もうすぐ峠だから頑張れよ〜!!」と声をかけてくれた。それだけで元気が出てくる。峠に至ると、ニセコのシンボル要諦山が見えてきた。誠に美しい山体である。
ニセコのシンボル、要諦山
 YHは、白塗りの質実剛健な造りで、部屋は非常に簡素だった。一泊2,200円と安いのが助かる。同宿の人たちが倶知安の駅前に夕食をとりにいくというので一緒に出かけた。定食屋さんでビールを片手に雑談を楽しむ。

 今日の走行距離は、130.1km。もう少し走った気がするが、峠越えが多かったから距離が伸びなかったのだろう。
7月29日 5日目 雨 倶知安→長万部
 朝食は朝7時。要諦山やニセコアンヌプリなどの美しい山々を眺めながら、サイクリングを楽しんだが、1時間もすると雨が降ってきた。しかもどんどんひどくなってくる。標高もあるので、とても寒い。途中、ところどころで民家の軒先などを借りて雨宿りした。
北海道のイメージにぴったり
 道は平坦な所がほとんどなく、山あり谷あり。坂はもちろん辛いし、下り坂も滑りそうで怖いのでスピードが出せない。こういう日はやはり気が乗らない。

 本当は今日中に函館まで行ってしまおうと思っていたが、寒すぎて気力がなえ、途中の長万部で一泊することにした。
 この町にYHはなく、寒くて風呂にでも入らないと風邪を引きそうだったから、やむなく普通の旅館を探すことに。長万部は温泉町で、温泉宿がたくさんある。一泊5,000円というのを見つけて部屋をもらった。

 部屋は蛍光灯が古くなっていて薄暗く、また、ハエが何匹も飛び回っていて不快である。料理が出たが冷めていて、率直に言っておいしくない。くしゃみが何度も出て、寒気がして、食事どころではなかったので、かなり残してしまった。配膳をしてくれたおじいさんから、嫌味を言われた。疲れていたので、すみません、とだけ答えておいた。

 温泉に長い時間入って体を温め、早々に寝入る。

 今日の走行距離は、83.1km。明日は頑張るぞ。

道路と並行して走るローカル線
7月30日 6日目 曇り 長万部→函館
 今にも風邪を引きそうだったのに、朝起きたら、意外に元気で自分でも驚いた。朝7時、朝食抜きで出発。
 相変わらず天気はすぐれないが、雨粒は降って来ないから昨日とはだいぶ違う。内浦湾を左手に見ながら国道5号線を走り続け、八雲を過ぎ、森町で海岸線に別れを告げて南下する。この間、ずっと函館本線が併走していた。
 森町を過ぎて函館まであと37kmという所で、前方に見たことのある自転車男S君を発見。天塩で会った「ライバル」である(笑)。再会を喜んで、しばし雑談。今日は函館で泊まるという。再会を約し、別れた。私の方がかなり身軽なので、抜かしていくことになる。
手塩以来の再会!
 途中、アウトドアショップを見つけ、欲しかった寝袋を購入。3,500円。これで宿泊費を浮かせられるだろう。近くのセブンイレブンで買い物をした際、店の前に飢えた犬がいてもの欲しそうにしている。かわいそうなので、ゆで卵を買って与えたら、ムシャムシャ食べていた。
 昼過ぎに函館市内に入る。国道沿いの定食屋で昼ごはんを食べたが、その際、「魚は鮭しかない」とのことで、やむなく鮭定食を頼んだ。ところが東京の塩鮭のように固くなく、ほっこりやわらかく、塩気も薄く、何とも美味で感激。しかも580円。さすが北海道だと一人悦に入った。
 今日は寝袋があるので、宿はとらず、駅で寝ることにする。夜まで時間はたっぷりあるので、市内を観光することにした。ロシア教会など散策し、夕方になったら函館山のロープウェイに乗って山頂へ。夜景ファンの私にとっては逃せぬチャンスである。
函館山頂から
 あいにく雲が出て、条件はあまりよくなかったが、有名な函館の夜景を目に焼き付けて、地上に戻る。

 夕食は、市場近くの食堂へ行って、「ウニ・イクラ丼」とイカソーメンを注文。二品で2,800円と高かった・・・。今になって思えば、観光地の高い品をわざわざ選んで食べに行ったということだろう。

 駅近くの銭湯で汗を流す。今日の走行距離は、116km。観光したから、こんなものだろう。

夜景がきれいだった
 さて、駅へ行くと、さきほど会ったS君と再会。彼曰く、駅で寝るよりも青函連絡船で寝た方が効率的だとのこと。不勉強で、青函トンネルができたことで連絡船はなくなったと思い込んでいたが、確かに船で寝ていければ最高である。
 早速港に向かい、彼と一緒に切符を買った。2等の雑魚寝ラウンジである。学生料金で1,820円。
フェリーの切符
 結局、6日間で624kmを走って北海道を縦断したことになる。さあいよいよ本州だ。
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