第2章 青森県〜山形県


7月31日、第7日目 曇りのち晴れ 青森→能代

 フェリーは22時に出航した。絨毯敷きのサロンで雑魚寝したのだが、寝袋を持ちこまなかったため、とても寒かった。

 青森港までの所要時間は、3時間50分である。つまり、夜中の2時頃に青森港に着いてしまうわけだ。仕方がないので、フェリーターミナルの廊下でS君と一緒に寝袋を並べて寝た。ところが意外と暑くて、上半身を出していると今度は蚊がうるさくて堪らない。結局、ほとんど寝た気がしない状態で明け方を迎えた。

 ところで、このフェリー、「東日本フェリー」の船であるが、この会社の直江津ー博多間のフェリー「れいんぼうらぶ」は、2002年の映画「白い船」に出てくる船である。島根県平田市の海沿いの高台に立つ塩津小学校の子供達が、98年のある日、沖合いを定時に通過する白い船を見つけ、先生と一緒にそれが「れいんぼうらぶ」であることを突き止める。その日から、船長さんたちと子供達の交流が始まるという実話。とてもいい話だった。

 さて、S君と別れて、6:15頃、青森市内を西へ走り出す。曇っており、肌寒かった。国道7号線、次いで101号線を経由して日本海を目指す。101号線に入った頃から、アップダウンが増えだした。

 平原、広大な水田、送電線、林檎畑、といった風景が続く。陰鬱な天気であり、寝不足もたたって気が重い。五所川原の近くで、商店の店先で休憩しているとS君が追いついた。元気な様子で、すぐ走り去った。

 鯵ヶ沢に着いた頃には天気も好転した。睡眠不足は体の方が諦めたようで、そんなに気にならなくなった。いよいよ日本海が見えてくる。日本海岸沿いの道では、追い風に恵まれ、かなりの速度で南下していった。あちこちにイカの一夜干しを作っている風景が見られる。ちょっと味見をしてみたかったが、気分が乗っているので、休憩もせずに突っ走った。

 深浦町へ入ると、右手に宮崎の青島海岸のように奇妙な岩が多い海岸が見えてきた。千畳敷海岸というらしい。多くはないが、家族連れが遊びに来ていて楽しそうだ。

 さて、深浦町の中心部を走っていたら、通り過ぎる車の家族連れから、熱心な喝采を頂戴した。車内から「どこまで行くの?」と問われたので、「九州まで!」と答えたら、車内の全員で「ええっ!!??」と驚いている。「頑張ってねえ!!」と声をかけてもらい、手を振って応えた。

 更に進んで港の辺りでえっちらおっちら坂を登っていたところ、いきなり同じ車が併走し始めた。助手席の女性が「ねぇ、今日はどこまで行くの?」と訊くので、「能代くらいまで行こうと思います」と応じた。彼女は、「うちら秋田に住んでるから、良かったら泊まっていって」と言って、電話番号のメモを頂戴した。SUという苗字が書かれていた。キツネにつままれたような僕を残し、車は秋田市方面に走り去っていった。

 今日は秋田市まではとても着かないので、翌日立ち寄ってみようか、そう思いながら走った。そのうち、「不老不死温泉」の表示が見え出した。どうも海岸で直に湧き出ているらしい。面白そうなので、寄ってみることにした。

日本海側を南下

青森のりんご

深浦にて

深浦の港
 国道からわき道に逸れて、海岸に至る坂を下ると温泉宿があった。なるほど海岸に面している。温泉は外湯もあるが内湯もあって、外湯は誰も入っていない様子だったので、内湯で済ませた。前夜がフェリーの中だったので、とても気持ちが良かった。
 風呂上りのよい気分のまま国道101号線に戻る。すると、まもなく「白神山地」や「十二湖」との表示が出始めた。前者はもちろん、あの白神山地である。秋田県にあるのだとばかり思っていたが、地図で見ると、両県に跨っているようだ。「十二湖」については、神秘の湖という文字が気になった。その時はもちろん立ち寄ったわけではないが、後に思わぬ形で訪れることになる。
 さて、その後も追い風に恵まれ、自分でも驚くほどのスピードで走り続けた。S君は前だろうか後ろだろうか。温泉に寄り道したから、きっと前にいるのだろう。
 八森の辺りで秋田県に入る。夕暮れ時、米代川河口の橋を渡って能代に着く。今日の宿はここと決め、まず駅へ行って寝場所を物色する。場所はありそうだ。そこで、のんびり銭湯の煙突を探して街中を走り回る。また、目覚まし時計を購入した。銭湯はほどなく見つかり、本日二度目の風呂に浸かった。

 置いてある洗面器を使おうとしたら、湯船に浸かっていた相当怖そうなおじさんが「にーちゃん、それオレんだよ」とすごんだので、縮み上がってしまった。

 風呂上りには、定番の瓶牛乳を飲んだが、番台のおばちゃんが、「にーちゃん慣れてるね」となぜか感心していた。
 駅前の定食屋で夕ご飯を食べていたら、S君が登場。駅前に停めてある僕の自転車を見つけたらしい。彼は、僕に追いつこうと急いでいたところ、途中で北上してくる別の自転車男と会い、僕のことを見なかったどうか訊いたそうだ。そうしたら、その彼は、「なんか、すごいスピードでぶっ飛ばして南へ行きましたよ」と応じたそうで、S君も必死になって漕いで、ヘトヘトになって能代にたどり着いたらしい。話を聞いて笑ってしまった。その夜は、一緒に寝ることにした。

 今日の走行距離は、164km。
 
8月1日 第8日目 晴れ 能代→秋田
 翌朝は、駅員さんに「にーちゃんたち、もうすぐ始発来るから起きて」と言って起こされた。ねぼけまなこで、S君の提案に従い、朝食を食べることになった。写真のように、駅前でキャンプ用のストーブなどを拡げて、ソーセージなどを炒め、カップスープをすする。ちょうど朝の出勤時間であり、サラリーマンやOLさんたちが駅に続々と入っていくが、みな怪訝な顔で僕らを見ていた。

駅前の朝食
 朝食が終わると、それぞれのペースで出発することになった。せっかくなので、一緒に写真を撮る。またの再会を約した。

 いつものとおり、身軽な僕の方が速く、あっという間に彼が見えなくなった。今日は秋田市までなので、余裕である。逆風がきついこともあって、ゆっくり走った。

 ただ、心に引っかかっていることがあった。その日、親切な人に誘われていることをS君には話せなかったのだ。色んなことを考えて口に出せなかったのだが、どことなく、後味が悪かった。

 そんなことを思っていたら、昨日買ったばかりの目覚まし時計を能代駅に置き忘れたことに気づいた。1,000円程度のものだったが、再度買うのは悔しいので、鹿渡(かど)駅から列車で戻ろうとした。しかし、時刻表を見るとかなり時間を食ってしまいそうだったので、断念した。
 右手には、広大な平原が広がっている。八郎潟である。地理で習った有名なポイントをひとつずつ実踏する旅でもある。

 のんびり走ったのだが、午前11時過ぎには秋田市に着いてしまった。さすがにSU家へ今から行くわけにもいかないので、市内を散策する。コインランドリーを見つけたので、久しぶりに洗濯をした。それでも時間が余ったので、CD屋さんで時間を潰し、喫茶店でゆっくり休んで、16時頃から千秋公園(お堀があるので、おそらく城址公園であろう)のベンチで昼寝をした。炎天下だったが、本格的に寝てしまい、汗でギトギトになって起きた。

 この状態でお邪魔はできないので、銭湯に入って汗を流してからSU家に連絡をした。秋田駅からほど近い居心地のよいお宅に案内され、ご夫妻と親戚の一家に歓待いただいた。焼肉やお寿司を頂戴した。ビールを飲みながら、本当に嬉しい気持ちになっていた。

 数日振りで清潔な布団で眠りに着く。今日の走行距離は、78km。

8月2日 第9日目 晴れ 秋田→酒田
 SU家を8時半頃出発。皆さんと写真も撮った。親切なご家族のお陰で、気分はとても明るく、スピードも上がった。

 しかし、疲れが出てきているからか、例えば道路工事の現場で誘導しているおじさんが「はい、こっちへ行きなさい」などと命令口調で指示をすると、気分を害することが増えた。別にどうでもいいことなのだが、かっとなってしまうのだ。もちろん、走っているのでケンカなどするわけではないが、こんなことで心の安定が乱れるというのは、非常によくないと何度も反省した。

記念撮影
 国道7号線をひた走る。有名な象潟(ひさかた)を通過すると、左手に大きな山が見えてくる。鳥海山である。山容が美しかった。
 特にきついアップダウンもなく、庄内平野に入る。酒田市の手前でS君に再会。もちろん彼の方が先行していた。しばしジュースを片手に雑談の後、再び各自の旅へペダルを漕ぎ出した。
 酒田市に入るところで、最上川を渡る。象潟に続いて俳句に詠まれた土地を通過する。はるか昔の国語の授業を思い出した。酒田市を過ぎたところで、能代の南から走ってきた国道7号線に一旦別れを告げ、海沿いの112号線に入る。走りやすい道で、車も少なくてよい。右手には松林が広がり、その向こうは砂浜である。

 そうこうしていると、ダンプが増え始め、道路の両側に大きな大きな切通しのような土盛りがあった。立ち止まったら、それはどう見ても滑走路である。国道を横切る形で滑走路(海岸線に直角に伸びている)を建設中なのだ。国道の上は塞いでいないが、そのうちここはトンネルになるのだろう。これは、94年開港の庄内空港である。

 そのうち、湯野浜温泉に着いて、そこから国道112号は陸側へぐぐっと入ってしまうので、海沿いの道を選んだ。釣りをしたら楽しそうな磯や漁港が随所に見られ、美しい海岸線を楽しみながら南下する。

 再び国道7号が海岸線に戻ってきて、合流する。まもなく、鶴岡市に入り、今日の宿である鶴岡YHに到着。近代的な造りのYHで、吹き抜けのホールがあった。高校生の団体と一緒である。

 今日の走行距離は、143.7km。

 この日、イラク軍がクウェートへ侵攻。日本はこの危機への対応をめぐって迷走し、現在に至る安全保障論議が始まることになる。
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第1章 北海道
第3章 新潟県〜富山県
第4章 福井県〜兵庫県