第5章 岡山県〜山口県


8月9日 16日目 晴れ 室津(兵庫)〜倉敷(岡山)

 宿の朝食は、純和風でほっと落ち着く。前夜、今日どこまで走ろうかと思案し、暑さの中2週間以上も走っていて、少々精神的に疲れ気味なので、倉敷まで行って、初めて2泊することを決めていた。

 この旅行は、別にスピード勝負ではないので、それでいいと思った。

本州もあとわずか
 
 倉敷までは100kmにも満たない。のんびり心の余裕を持って走ろうと思いながらペダルを漕いだ。室津を出発して、海沿いの国道を走ると、すぐ相生湾が見えてくる。陸地に向かって右手に深く切れ込んでいくので、道も右手、つまり北に向かって走っていく。湾内には大きな工場がたくさんあった。

 相生を越えると、道は内陸に入り、坂道を登っていく。朝から峠越えは辛く、ヨロヨロ登っていたら側溝に落っこちた。あまり深くなかったからいいようなものの、場合によっては危なかった。しっかりせねば。峠では、「高取峠」との表示と並んで「赤穂市」の表示が見えた。赤穂浪士の赤穂である。

 赤穂の駅前に着くと、なるほど大石内蔵助の像が建っている。記念写真を撮って通過した。
 
 赤穂を出るとまた道は山中に入り、峠に向かう。これから倉敷まで、その繰り返しだった。午前11時頃に福浦峠で兵庫県に別れを告げ、岡山県に入る。峠越えが多いので非常に疲れるが、「集中、集中」と言いながら力を振り絞った。

 昼頃に岡山市へ着く。市内中心部の道路が広々としており、また、信号機の鉄柱がブロンズ色であるなど、なんだかシャレた感じだった。兵庫から岡山へ入って、あまり車からクラクションを鳴らされなくなった。これだけでも疲れ方が違う。

 午後3時頃、倉敷のYHへ到着。さっそくシャワーを浴びる。クーラーなど付いてはいないが、薄暗い廊下を風が吹き抜ける中、スリッパでパタパタ歩くのは実に気持ちの良いことだった。

倉敷の美観地区

 今夜はドイツ人の若者と同室。一人旅をしているそうで、夜遅くまで話し込み、楽しかった。

 今日の走行距離は、96.1km。

8月10日 17日目 晴れ 倉敷滞在

 翌朝は、ドイツ人の彼と一緒に倉敷市内を歩いて巡る。美観地区は風雅で、大原美術館も楽しめた。彼は絵のことを非常によく知っており、いろいろ教えてもらった。「アイビースクエア」でビールを飲んだ。昼ごはんを一緒に食べた後、彼が倉敷駅から電車で発つので、駅まで送り、その後なぜかひとり喫茶店に入ってアイスティーを飲んでから宿に戻る。

 ある神社の近くにて
 部屋に戻ると、今度は私と同じく自転車旅行中の男がいるのでびっくり。徳島出身のM君で、長崎の方まで行こうとしているらしい。とても感じのいい人で、夜12:30頃まで話した。YHは、ヘルパーもペアレントもみなとても親切な人たちだった。
YHの前にて
8月11日 18日目 晴れ 倉敷〜広島
 M君と一緒にYHを出発。彼のスピードは速く、あっという間に見えなくなった。丸一日休んだのに、あまりペースが上がらない。気合、気合と声を出しながら走った。
 
 国道2号線をひた走る。今日もよく晴れて暑い。また、逆風が吹いている。直に広島県に入る。福山を過ぎると、尾道に近づいてきた。尾道と言えば、ちょうど出発前に映画「転校生」(大林宣彦監督)を観る機会があり、その舞台かぁ、と思いながら近づいていった。映画の中で男になってしまった小林聡美の体当たり演技が最高だった。

尾道に近づいてきた所

 街に入ると、なるほど、どこかで見たような風景がある。右の写真の跨線橋は、確か小林聡美が男そのままにママチャリをぶっとばして渡っていたものだったと記憶する。

 小林聡美爆走の跨線橋
 映画には詳しくないが、大林さんという人は、尾道での作品が多いと聞いている。島が点在し、渡しのフェリーがある風景は、何とも旅情をかきたてられる。右の写真の瀬も、彼のいずれかの映画で観たような気がする。白い看板には、日立造船とある。
尾道にて

 尾道を出てしばらく行くと三原に着く。ここから国道2号線は沼田川に沿って山間部へ入るので、また坂道になる。上りきると、高原のようになっていて、特に大きな町もなければ山林でもない、中途半端な風景が延々と続く。

 東広島市に近づく頃には、夕暮れが近づいてきた。今日は広島駅で寝ることに決め、長い坂を下って広島市に近づいていった。

 広島市の手前にある府中町に18:30頃到着し、まずは銭湯を探す。いつものとおり、幹線道路からふらっと気の向くまま住宅地へと入り込み、手放し運転で銭湯の煙突を探す。ほどなく発見し、お風呂につかる。

 風呂上りに走るのは気持ちが良い。Tシャツのすそから風が入り込み、パタパタとはためく。汗がひいていくのがわかる。もう秋の虫の音が聴こえる。

 住宅街にお好み焼き屋さんを発見。そういえば広島の名物であった。早速入ってカウンターに陣取る。おかみさん達が興味津々で質問してくるので、楽しく会話した。店を出る時、店の幟のミニチュアを記念にもらった。

 ほどなく広島駅へ到着するが、駅前にはチンピラだかヤクザだか、怖そうな人が何人もたむろしていて、とてもじゃないが寝袋を担いで一人寝場所を探す雰囲気ではない。仕方がないので、再度自転車に跨って、夕闇の市内をうろうろする。

 1時間ほどさまよったあげく、広島城址の公園にある図書館の階段脇に寝袋を置いて眠ることにした。非常に蒸し暑く、寝袋の中に入っていられない。ところがファスナーを開けると、藪蚊が一斉に襲ってきた。よくないとは知りつつも、顔中に虫除けスプレーをかける。しかし蚊はものともせずに刺しまくった。

 今日の走行距離は、163.5km。稚内を出てから2,159km。2,000kmを越えた。

8月12日 19日目 雨のち曇り 広島〜徳山
 苦しみながら寝てみたが、今度は朝4時半頃になって雨が降り出した。これはもうどうしようもなく、出発することにした。本当は、朝、普通の時間に起きて、原爆ドームなど見てから出発したかったのだが、仕方がない。ところが、今度は国道2号線への出方がよくわからない。広島は河口の三角州にあり、川が扇状に海へ注いでいるので、どちらの方向へ行っても川にぶつかり、暗いこともあって方向感覚が失われてしまったのだ。

 結局、1時間半ほどさまよったあげく、ようやく市街地から出ることができた。雨はそのうち上がったが、明け方の空はどんよりと陰鬱である。

 海沿いに2号線を突っ走る。厳島神社が見えた。そのうち、顔中にかけた虫除けが不快で、また、シャツの中にまで入り込んで刺しまくった藪蚊のせいか、腋の下の神経がビリビリする。公園の蛇口で体を洗った。
 岩国の近くで道は海から離れ、坂道になる。時々見える川面は美しく、体が不快なこともあって、飛び込んで泳ぎたい気分であった。
 また、峠道ではよく動物が車にひかれて死んでいて、胸が痛んだ。ある峠の途中で古びた自動販売機があり、100円を投入したところ、不二家ネクター(懐かしいでしょ?)の何年も経った古いものが出てきた。缶は相当さびており、そのまま捨てた。

 徳山の市内に着いて、海沿いの公園で休憩していたら、偶然M君がやってきた。未だになぜそこで再会できたのかはナゾであるが、その時は喜んで、一緒に湯を沸かして紅茶を飲んだ。すると、地元のおじさんが散歩中といった感じで近づいてきて、話しかけてきた。品の良さそうな人で、山口県が輩出した政治家のこと、県立高校の系譜など、山口県人の「出自」に関わる話で、なかなか興味深かった。
 しかし、そこにいきなり土砂降りの雨。急いで荷物をたたみ、しばらく公園内で雨宿りしたが、やむ気配がない。M君と一緒に全速力でYHに向かって走り出した。

 ずぶぬれになってYHに到着する。風呂に入って体を温めた後、一緒にキャンプ用具で食事を作る。夜は疲れてすぐ寝付いた。

 今日の走行距離は、120.2km。明日はいよいよ本州最後の町、下関に着けるだろう。
第6章 九州へ
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